@article{oai:aichi-pu.repo.nii.ac.jp:00000864, author = {木下, 郁夫 and キノシタ and KINOSHITA, I.}, journal = {紀要. 地域研究・国際学編}, month = {}, note = {P(論文), 国際政治の「現実」とは何であろう。政治学は規範を説教するぼかりでなく、「現実」、すなわちありのままの実存を対象としなけれぼならない、とエドワード・ハレット・カーはいましめた。『危機の20年-国際関係序説-』は彼の講義の学生どころか、国際関係論を志すあらゆる者にとり序説でありつづけている。ところが、彼の「現実」には二重の意味があった。実存以外のもうひとつの意味は、力と国家を国際政治の本質とみることであった。世論、知性、自由放任、調和、国際主義、道徳は非本質とされ、実存しない、あるべき理想境の「ユートピア」とされた。さらに、これらを重視する政策まで「ユートピアニズム」と命名され、国際連盟や諸条約がひとくくりにされた。ユートピアニズムはカーにとり、現実主義のひきたて役でしかなかった。彼は歴史のあと知恵で、つごうのよい概念と発言のよせあつめでわら人形をつくり、ノックダウンすることができた。アドルフ・ヒトラーの登場と第二次世界大戦の勃発で、力と国家の全盛期ははじまっていた。「幼稚な」ユートピアニズムと「成熟した」現実主義の二分法は、説得力あるレトリックにおもわれた。しかし、連盟も諸条約も不成功の諸提案も、まぎれもなく歴史事実であった。実存しても(彼の定義する)本質でなければ非現実、とするカーの論法はダブル・スタンダードであった。本論文ではユートピアニズムのレッテルをはられた諸現象を解剖する。まずは、法学的解剖から着手したい。}, pages = {199--220}, title = {ユートピアニズムの解剖 : 『危機の20年』と大戦間期の国際仲裁}, volume = {39}, year = {2007} }